とらぷぃー

これからいっぱい書くよ

飲み会で「おもしろい人」になる方法-○○力を高めよ-

せっかく人と話すのであれば、おもしろい人になれた方がいいだろう。

 

居酒屋からの帰路で一人反省会をするのは、もうやめにしましょう。

今日は汎用性の高い簡単な戦略を紹介したい。

 

それは○○力を高めることである。

 

1、大切なのは「反撃」

○○に入る言葉、それは秘蔵力だ。

 

秘蔵、隠し持つという意味に~力を付けた造語だが、今回はそう呼ばせてもらう。

言い換えれば、「あなた自身のとっておきを限界まで温めておく」ということになるだろうか。

 

 

飲み会で必要になるのは、でかい声で自己開示をすることでも、整った顔を見せびらかすことでもなく、ここぞというときの反撃-カウンター-を打ち込めるかどうかだと考えている。

 

その理由は2つだ。

 

①だいたいのトークは面白くないから

自分が考える持ちネタや面白い話がその場でウケるかどうかは、正直博打だ。

最上位の芸人でもない限り、「私の考える面白い話」は相手にうまく伝わらない。

 

「いや~最近、実はマダガスカルでサイに襲われて、、、」

と話し出したところで、その威力は半減してしまう。

 

トークの問題か、聞き手の問題か、場の雰囲気か。全てがそろわない限り、自らトークを展開するのは非常に危険である。

 

②飲み会では全員モブキャラだから。

飲み会において、主役はいない。よって、自分には誰も興味がない。

 

送別会や歓迎会であったとしても、特定の人物が目立つのはせいぜい5分だ。

挨拶や紹介が終わると、基本的にいつも通りの飲みがスタートする。

 

そこで張り切って「いや~最近、実はマダガスカルでサイに襲われて、、、」

と話だしても「いきなりどうした」が参加者の第一印象になる。

 

つまり、自分には誰も興味がない。という前提に立ち、先制攻撃を打つのをまず我慢する方が後々効果を発揮しやすいのだ。

 

つまり、大事なのは思い切りの良い自己開示ではない。

反撃を効果的に打てるかどうかの方こそよっぽど意識するべきだ。

 

2、秘蔵のカウンターを繰り出せ

飲み会が始まったら、誰かの威力の半減した攻撃は場をじわじわ温め続ける。

あなたの誰かに伝えたい話やとっておきの体験は、ウォーミングアップを続けている。

 

そして場が適度に盛り上がり、誰かが自分に話を振ったその短いターン。

「最近△△は何してたん」

 

もしくは、口を挟めそうな盛り上がりを見せ、自分の経験と合致する話題が出た瞬間

「△△って海外行ったことある?」

 

驕らず、さっと伝えよう。

「いや~最近、実はマダガスカルでサイに襲われて、、、」

 

誰かが作った温かいテーブルに、更に火力を増したあなたのネタを放り込もう。

 

それはより効果的に、参加者を惹きつける。

 

そして会の中盤あたりにぶち込んだその一撃は、参加者の記憶に残る。

それはつまり、あなたの印象を決定づけることができる。

 

一度強烈な印象を与えれば、それは今後も年単位であなたを助けてくれる。

 

3、秘蔵力の応用

秘蔵力、これはトーク以外にも応用できる。

 

私は過去、このブログを書き始めて間もないころ、ある構想段階のネタをストーリーにアップした。

 

「情報リテラシー的側面から考える 『花束みたいな恋をした』の二人が別れずに済んだ方法」

 

これを書こうと思っている!!と作品の発表をした。

 

これが非常にウケた。

私は執筆を始める前に、良い評価を得てしまった。

 

「これを書けば評価は高そう」

事前に知ってしまった私は、その時点で私の中で高まっていた内圧を消してしまった。

とっておきの秘策を中途半端に世に出してしまったのだ。

 

ご存知の通り、未だにその記事の進展はない。

 

ここから学べることは、秘蔵力を高める重要性だ。

あなたが面白いと思っているものほど、機を見て熟成させよう。

そして、適度なタイミングで世に出し、大うけを狙おう。

 

そうは言っても、このカウンター戦略、私はあまり好きではない。

カウンターを最初から狙うのは、基本的に弱者のすることだからだ。

 

だが、カウンターを狙うことは大きな失敗を起こさない。

能動的に動くことは難しいため、飲み会や会話、コンテンツ制作に苦戦している方は、まずはこの秘蔵力を高める戦略を採用するのが良いかもしれない。

 

以上!!

 

「NHKの受信料を払わない」もうダサい

手軽に楽しめる地獄を発見した。

それについて考えるきっかけになったのは、ポストに届いた白の封筒だった。

 

出し手はNHK。

 

f:id:fc_torapool:20260830182253j:image

 

あー、きたー。と部屋まで連れて帰り、封筒を開けると5通の資料が入っていた。

 

一人暮らしを始めて、NHKから封筒が来るってことは、要件はあれしかない。

 

受信料だ。

 

 

1、受信料

NHKの受信料はめちゃくちゃに嫌われている。

いつぞや政党が出現したのを契機に、NHKは悪であるという刷り込みがなされたように思う。

 

火のない所に煙は立たぬと言うし、NHKの至らぬ点もあったのだろうが、NHKが嫌い=受信料は払わなくていい。という世論が一部で形成されているように見える。

 

私も「別に払わなくていいのか?」と思っていたこともある。

 

しかし、本当に払わなくていいのだろうか?

せっかく封筒が送られてきたし確かめよう。

 

封筒の中に、「放送法64条によってNHKとの受信契約を締結する義務があり、その契約に基づいて受信料を支払うことになる」といった旨が書かれた資料が入っている。

 

法律で決まってるやん。

払わなくていいってなんやねん。

 

と思ったので、ネットでも調べてみた。

 

www.nhk.or.jp

 

NHKはもちろん義務だと言っているので、法律を調べてみた。

 

laws.e-gov.go.jp

 

放送法第64条第6節、受信料の項目には以下が記載されている。

 

次の各号のいずれかに該当する者は、認可契約条項で定めるところにより、協会と受信契約を締結しなければならない。
一 特定受信設備を設置した者
二 特定必要的配信の受信を開始した者

 

やはり、地上波を受信できるテレビ等を設置している場合は、NHKと受信契約を締結し、受信料を支払う義務があるらしい。

 

一方、学生や別居家族には一定の免除や割引制度があるようだ。

 

それでもやはり、たいていの場合、受信料の支払はマストであるように思える。

 

 

2、ダサい大人 on parade

なぜ、法律に基づく受信料の支払はここまで世論に嫌われているのか。

要因は様々考えられる。

 

地上波を受信できるテレビを設置しているだけで、NHKの視聴をするか否かに関わらず受信料の支払が義務であることや

 

NHKの職員の給料は高すぎるから、とか

 

NHKに対する憎悪が、受信料の支払を回避できないか探る動機に繋がっているのかもしれない。

 

しかし、それとこれとは別問題である。

 

放送法64条によって受信契約が義務付けられていて、その契約に基づいて受信料を払わなければいけないのであれば、それは従う必要がある。

 

集金母体が気に入らないからという意見は全く理由にならない。

 

そして、NHKの受信料を回避するという行動は、イデオロギーのように進化している。

 

 

Youtube上のこの動画、半年で140万回以上再生されている。

こちらのコメントを見てきてほしい。

すごく地獄だ。

 

地獄への入り口

https://youtu.be/AyXDkktSGxU?si=iK1MyKw9xHI9RYHx

 

コメントの口ぶりから見るに、本来支払うべきところを支払いたくないがために、受信料の支払を回避する必殺技を習得しに来ているようである。

 

そして、受信料の支払をしたことがないことを武勇伝にしている者まで存在する。

 

彼らを見て思うのは、何かに反抗することをアイデンティにしてはいけないということである。

 

NHKの受信料は、地上契約であれば2カ月で2200円、12カ月で12276円と、おおよそ1か月1100円だ。

 

確かに特別安くはないし、あまり利用しないサブスクに1100円払うようなものなので、全く怒りがないわけではない。

 

しかし、法律で定められているのであれば、一旦は厳守しなければならない。

 

郷に入っては郷に従えなのだ。

受信料を回避しようとしている人を見ると、まるで校則に反抗する中高生を見ている気分になる。

 

いつまでやっているんだ、と。

 

反論するだけではルールは変えられない。

ルールを守り、逆手に取ったうえでハイジャックする必要があるのだ。

 

年額12000円ほどであれば、払ってやればいい。

そして、受信料を納めた上で堂々と文句を言えばいい。

 

受信料に関するダサい大人たちを観測することから、我々は学べることがある。

 

3、私のNHKへの意見

ということで、私は正当な視聴者となり、NHKを利用し続ける。

NHKさん、4年後のワールドカップも本田圭佑を解説にお願いしますね。

 

以上!!

 

 

 

 

募金は自分のためにする

 

募金は自分のためにする。

私が募金する際のポリシーである。

 

○自己中な偽善

最近、とある災害に対して募金をした。1000円ぴったり、4桁の送金をした。

そのときの私の心情は

「これで私に良いことが起こりますように!!!!」

である。

 

なんて最低なやつだと思われるかもしれないが、ちょっと考えてみてほしい。

結局、思考よりも行動が大事ではないだろうか?

 

私は自分の徳を積むためという動機で募金をしているが、そう考えた方が救われる人の数が増えると思っているから、そのようなスタイルで動いている。

 

というのも、そもそも募金ほど人間の善意に委ねられるシステムは多くない。それゆえ、募金という行動に移す人の数の方が少ないのは当然のことであると思う。

募金なんて1人だけが動いたところで大した意味がないし、本当に募金したお金が被災地に届いているかの確認もできない。

 

しかも日本人は真面目な人が多い。この真面目さは要らぬところで発揮されると非常に面倒になる。

例えば、

「Aという場面で苦労している人は救うのに、Bという場面で苦労している人は見捨てるのか!!」のような

何かにコストを払って救助するなら、全人類に手を指し伸ばさなければ不公平だと考える人が一定数いるように感じる。

 

こんな国民性も相まって、実際に募金という行動に移す人は限られる。

 

そこで提案するのが、募金の動機をずらしませんか?というもの。

つまり、他者のためではなく自分に良いことが返ってくるように、という動機の方が、募金のためのハードルが下がるのだ。

 

私の1000円がそのまま募金先に渡ることはないかもしれないし、私は全ての被災地にお金を投ずることはできない。

 

けれども、それでいいじゃないか。目の前にいる人からまずは幸せになれば、幸福は大きくなっていく。

 

それでいて、本当に良いことが降ってくるかもしれないし。

 

あなたが募金をする際は、積極的に周囲に自慢しよう。

それを見た人が募金の存在を知れば一石二鳥だ。

そして、募金をしない人にもその人の正義があることを理解しよう。

 

以上!!

 

 

 

2026年のベスト映画、もう決まりました。

 

今年も残すところ4ヶ月半ほどになった。

今年公開の映画は豊作であるが、その中でも抜きんでて素晴らしい作品があったので、今年のベストだと断じてしまいたい。

残りの期間でも追い越されることはないだろうと確信が持てる。

 

1、今年のベスト

今年のベスト映画、、それは、、、

 

 

 

トイ・ストーリー5 です!!!

www.disney.co.jp

 

 

めでたい。めでたい。

 

ということで、ブログはもう少し続きますが結果発表したのでここからは残り火。

私のブログではなく、トイストーリーを見て来てください。

 

 

主題は、古典的なおもちゃではなくデバイスが子供たちの時間を占有することになった現代で、デバイスの弊害やおもちゃの価値、友達との付き合い方を描く、というもの。

 

この作品の何が良かったのか。

それは、「楽しい」と感じたこと。

その点、ピクサーはガチだった。

 

私は、映画を含むコンテンツは所詮エンタメなのでみんなが楽しむことができてなんぼだと考えている。つまり、どれだけおもしろい作品でも、楽しくなければ意味がないと思っている。

 

トイストーリー5はずっと楽しい。

ストーリーの進み具合もスイスイだし、おもちゃの価値、デバイスの価値に優劣を付けずに落ち着かせているし、キャラコンテンツとしても各々がしっかり際立っている。(ウッディは控えめ)

おもちゃの話なので、バトル漫画のようなエンタメは難しい。しかし、物語の中で目指すべきミッションが定まり、ラストにかけて最高の盛り上がりが用意されている。

 

老若男女が楽しめるトイストーリーという巨大コンテンツを適切に使い、その枠組みの中でできる最大限を、現代に即した形で届けてくれていると思った。

 

それを、ピクサーが作ってくれていることにきっと意味があると思う。

コンテンツが乱立する社会で、誰もが知る作品で「楽しい」を提供してくれている。

少年少女がこれを見てどんな感情になるのか、私はもう想像することも難しいが、きっと「楽しかった」と言うのではないか。

 

 

2、楽しさ

年を取ると、「楽しい」だけではあらゆるものは成り立たないことを知る。

しかし、「楽しい」がなければあらゆるものは成り立たない。

 

映画館で絶対に見てほしい、という作品ではないが生涯で一度は目にしてほしい。

そして、純粋に楽しいと思える時間を存分に堪能してほしい。

川崎にて-治安は何が決めてんだよ-

 

川崎に用があったので行ってきた。

仕事だけどねー!!!

 

初めて行く場所ではないが、歩いたことはあまりない。

川崎ってなんだか悪いイメージ、ないだろうか。

 

私はある。

と言うのも、これより以前に一度川崎に行った時、まだ昼間であるのに川崎駅のトイレが日本で1番汚いと思ったぐらいに荒れていたので、それ以来印象は良くない。

 

そんな川崎だが、同情の余地もあるように感じる。

 

SNSで話題に出されすぎだろうと思うからだ。

 

Xを中心とした退廃的SNSで川崎が言及されるときは、大抵が川崎の治安が如何に悪いかについて語られている。

 

私はそのような議論が嫌いだ。

だって、意味がない。

 

場所の治安について騒ぎ立てている人の中で、実際にその土地に住んでいる人の割合って大して多くないんじゃないかと思う。

 

住めば都、と言うし、住む人はそんな議論が巻き起こっていることを傍目に、粛々と自らの生活を送っているように思う。

 

特定の国籍や地域の外国人をスケープゴートにして、自らの醜悪な思想を世間に撒き散らすための舞台として川崎が活用されている側面もあるのではないか。

 

そうは言っても確かに、実情として治安の良し悪しを二分すると悪い側に入るのかもしれない。

実際、私も普段あまり見ない属性の人を見かける機会は多かった。

 

私が川崎駅に向かってホテルから歩いているところ、急に目の前に女性が現れ同じペースで歩き出し、スマホをこちらに向けて〇〇教という文字と教祖のおじいちゃんが写っている写真を1.2分間見せてきたり

 

金のネックレスに黒のTシャツ、髪はベリーショートでツンテカ頭の「なんの仕事してんねん」な中年男性が必ず視界にいたり

 

確かに余所者がすぐに馴染める場所ではないなと思った。

 

しかし、外国人が車で暴走していたり、誰かが取っ組み合いの喧嘩をしていたり、という光景は数日間では見かけなかったし

 

誰かにとってその場所が心地いいから、その土地の風土が出来上がるのだろうと思う。

 

その場所に行ってみないとわからないことがたくさんあるなんてことは自明だろう。

 

ということで、次私が行ってみたいのは知床です。

鹿とか普通に歩いてるって言うが、本当なのか。

 

あとは、涼しそうだから。

 

以上!!

 

「家庭科」を救いたい

最近気づいたことだが、

もしかして、家庭科ってめっちゃ大事??????

 

 

1、気づき

自炊をする際に、野菜の切り方がわからないときがある。

レシピに「1cm幅に輪切りして、、、」と書いてあっても

「、、、1cmに、輪切り??、、、」とそこでまず手が止める。

クリーニングに出すまでもない汚れを自分で取りたいときがある。

「こういうときの洗剤って、酸性中性どっちの方がいいとかあったけ、関係ないっけ」と商品棚の前で思案するときがある。

ほつれかけのボタン、長さが合わないズボンの裾上げ。自分でしたいが裁縫なんて絶対できない自信しかないし、最早ミシンの使い方も怪しい。というか、

ミシンを使う前に糸掛けたりするセットアップみたいなやつ、あれがめっちゃむずかった記憶がある。だから多分そこで詰まる。

 

生活において、「現状めっちゃ困るわけじゃないけど、これ知ってたり出来たりするとかなり時短になるし快適だろうなぁ」と感じる場面が多い。

そしてその場面でひょっこり顔を出すのが、今回の主役「家庭科」だ。

 

 

2、義務教育の有用性

私にとっての家庭科の印象は、「調理実習と裁縫」である。これはもしかしたら私以外の人もそうかもしれない。

他に学習したことを思い出すために、家庭科の学習指導要領をチラ見しよう。

 

平成29年、中学校における家庭科の指導要領

https://www.mext.go.jp/content/20230516-mxt_kyoikujinzai02-000033059_04.pdf より引用*1

なんだかたくさん書いている。

左上から順に見ると、幼児の発達や家族構成、食事と衣類について、消費者の権利などが列挙されている。

 

ここでお分かりだと思うが、家庭科ってめっちゃ大事である。

 

確かに、幼児の発達では「喃語」とか、食事と衣類では「酸性洗剤」「まつり縫い」とか、消費者の権利では「クーリングオフ」とか、やってたなぁと思いだせる。

 

今見るとめちゃくちゃ大事な内容なのだが、中学生の頃の自分は到底そう思えていなかった。

今の中学生は家庭科に対してどんな評価をしているんだろうか

2024年の中学生を対象にした調査

中学生白書Web版 学研教育総合研究所|学研 より引用*2

2024年に、中学生を対象に一番好きな教科について尋ねたこの調査

 

家庭科、なんと2.5%で後ろから4番目!!

 

おい!!中学生の諸君!!家庭科を勉強しなさい!!!

 

そして、もっと残酷なのが次の調査

 

2024年の中学生を対象にした調査

中学生白書Web版 学研教育総合研究所|学研 より引用

今度は、一番嫌いな教科は何ですか?と中学生に調査している。

好きな人が少ないなら嫌いな方では票を稼ぐと思いきや、3.0%で後ろから5番目!!!

好きの反対は無関心とはよく言ったもので

現在の中学生も当時の私と同じように家庭科に対する印象がかなり薄く、好き嫌いを評価する段階にすら達していないのである。

 

かなりショッキングな事実であるが、けれども理由を考えれば仕方がない側面が見えてくる。考察しながら、大事な家庭科を救う方法を考えたい。

 

理由①:時間差で重要性を理解するから

これが最も考えやすいか。

数学、英語などは先のランキングでも「好き」「嫌い」どちらでも上位に来ており、それは入試や日々の授業数などが理由で中学生の悩みの種になる存在だからであると考えられる。

そのような科目は、中学生にとって喫緊で取り組むべき科目であり、今勉強すれば(しなければ)すぐにテスト、入試で結果を出せる(出さなければいけない)ものだ。

しかし、家庭科の重要性は中学生は中々認識しづらい。

なんてったって家庭科は、一人で生活を送るようになる、のようなライフステージの変化を迎えたときに初めて学んだことを活かすことが求められるし、そもそも生活で使うシーンが少ない。

別に輪切りを知らなくてもご飯は食べられるし、まつり縫いができなくても買い替えれば問題ない。

しかし、その買い替えるという選択を繰り返すと、お金も時間も失う。

そのため、親の庇護下にいる学生のうちは家庭科の重要性に気づかず、世に放たれた途端に「はーい、こういうときってどうするんでしたっけー?」と顔を覗き込むようなパンチを見舞ってくる。

爆発までが長い時限爆弾。この厄介な性質は悪のように思えるが、義務教育の一環として行わなければならない科目な以上は、学習を遅らせるわけにはいかない。

 

理由②:技術とハッピーセット

家庭科について考えると、家庭科単独ではなく「技術・家庭科」と反芻する方も多いだろう。

そう、家庭科は技術とセットで評定が与えられる。確かに、家庭科と技術それぞれ単独では学習ボリュームが足りないのかもしれないし、生活を直接的に支える科目として一緒くたにして評価するのは合理的ではある。

ただ、それが影の薄さを助長しているのは言うまでもない。テストでも技術さえ点が取れていればなんとかごまかせるし、そもそも片方ずつにかける勉強の時間も減る。

 

学習指導要領的にはハッピーセットな組み合わせかもしれないが、家庭科を疎かにした大人からすると、もう少し単独でアピールしてほしいところだ。

 

 

3、家庭科爆上げ計画

ということで、ここまでは家庭科が重要であるにも関わらずないがしろにされている悲しい事実とその理由について考えてきた。

悲しんでばかりではいけない。ここからは、私が考える「家庭科」を爆上げる方法について論じて終わりたい。

 

それは、予備校で家庭科を教えませんか?という提案。

(ここからは余興なのでガチでは評価しないでほしい)

 

そんなことをしたら最早予備校ではなくなるという声ももうすでに聞こえてきているが少し待ってほしい。この提案には予備校にもメリットがある(多分、恐らく)

 

家庭科の影が薄いのは重要性を認識するまでにタイムラグがあるからであると考えた。

なので、「もうすぐ新生活が始まる人」「家庭科の重要性に気づいたが、時すでに遅かった人」という既卒者も対象にした家庭科講座を開講してみてはどうか。

自衛隊を退役していて、サバイバル術に長けた自炊マスターや刃物の扱い(研ぎ方とか)に詳しい個性を持った人を講師に迎えて、「1週間で生活のレベルを上げる家庭科」みたいな講座を打ち出す。

5大都市圏限定で開講すれば案外人が集まったりしないだろうか。

 

また、今後は少子高齢化で受験生の数は減る。であれば、学び直しの一環として家庭科講座を設けることは顧客の獲得にも繋がりそうだ。

受験生にとって数学や英語の出来が死活問題であることと同じように、大人からすれば家庭科の内容を把握することが重要なテーマなのだから。

 

しかし、そもそも学び直しが必要なくらいに当時学習していれば良いだけであり、義務教育というのは非常に良くできている。

そのときそのときの勉強を頑張ることが、未来への一番の投資になるのかもしれない。

 

それでも、もしこの講座を開講する場合、某講師に

「なに学ぶか、家庭科でしょ」

と宣伝を打ってほしい。

 

 

 

 

という戯言でした。

*1:2026年7月27日閲覧 文部科学省 中学学習指導要領(平成29年告示)解説 技術・家庭編

*2:2026年7月27日閲覧 学研教育総合研究所 中学生白書web版2024年11月調査

あなた「らしさ」の作り方-縋るんじゃなくて真っ当に、今、苦しめよ-

 

2025年の個人的ベスト映画、「ひゃくえむ。」

 

hyakuemu-anime.com

51本見た中で、12月に見た44本目の作品。それまでのトップはマネーボールでした。

 

www.sonypictures.jp

 

普段野球のことを「マイナースポーツ」と呼び友人から非難されている私にとって、野球に関するコンテンツが何かの1位になる快挙を達成するまであと少しだったのに、逃げ切れず。残念!!

 

今回はそのひゃくえむが私に突き刺したメッセージについて書きたい。

「なにかが自分を救ってくれる。なんてこと考えずに今を圧倒的、絶対的に苦しめよ」

という話を。

 

1,ひゃくえむ

『ひゃくえむ。』は、100m走というわずか10秒ほどの競技に、人生のすべてを懸ける人々を描いた作品である。

 

速く走る、という才能を持って生まれた主人公、内気で自己肯定感の低い同級生。

小学生の頃両者が出合い、主人公はこう話す。

「100mを誰よりも早く走れば全部解決する。」

 

学生の頃は特に、運動が出来る人はモテる。

誰よりも早く走ればボルトのような存在になれる。

 

良し悪しはさておき、学校のあの雰囲気を味わった者なら「確かにな」と頷いてしまう。

 

主人公から走り方を教わった同級生。

生来、走りで負けたことがない冷めた主人公。

サッカー漫画でも野球漫画でもバレー漫画でもない、100mという一瞬の勝負で勝ち続けるための熱量を、恐怖心、ライバル心、苦しさ、心地よさ、逃避、現実、、、

努力の過程の惨さと清々しさを、これらあらゆる面から描いている。

 

「チ。-地球の運動について-」で知られる魚豊さんが書いたこの短編作品は、公開された時こそ話題にならなかったが、2026年の年明けにサブスク解禁されてからは話題を呼び、作品で語られる言葉についての議論を目にする機会が増えた。

 

*この先はひゃくえむのネタバレを含みます

 

2、現実が変わるから、走る!

ここからは、ひゃくえむを掻い摘みつつ、作品が語るメッセージについて展開したい。

 

冒頭6分間が、YouTubeにて公式からアップロードされているので以下の場面は実際に見てもらった方がわかりやすい。

 

youtu.be

 

主人公から走りを教えてもらった人物の名は、小宮という。

 

そんな小宮と主人公であるトガシが初めて出会ったのは、小宮が引っ越してきてすぐのこと。

 

トガシが下校中のこと、目の前からだらしのないフォームで今にも死にそうな息遣いをしながら、小宮が現れる。

 

次の日、その小宮がトガシの通う学校に転校してきたことが知らされる。

帰宅して自室に入ると外から荒い息遣いが聞こえてきて、見てみるとまた小宮が走っている。

 

追いついてトガシが話しかける。

トガシ

「走るの好きなの?」

 

小宮

「いや、つらい」

 

トガシ

「なんで走ってるの?」

 

小宮

「ぼやけるから。」

「現実。気が紛れるんだ。現実よりつらいことをすると」

 

トガシ

「なんかもったいなくない?そんな理由で走るの」

 

小宮

「僕、なにもないから」

「人とうまく話せないし。問題を解決する方法もわからないから、逃げられればいいんだ。その場しのぎのやり方でも」

「走るだけじゃ、何の解決にもならないことはわかってるけど」

 

トガシ

「それは違うよ。小宮くん」

「俺知ってるんだ。この世界にはすごく簡単なルールがあるんだ。」

「たいていのことは、100mを誰よりも早く走れば全部解決する」

 

トガシが小宮を呪いにかけた瞬間である。

恐ろしや、小学生。

ここは、小宮が走りを極めていくことを決意するシーンになるのだが、このときの小宮が走る理由は「100mを誰よりも速く走れば全部解決するから」である。

 

このとき小宮が解決したかったことは、目の前の現実全てかもしれない。

人とうまく話せない、取り立てて長所もない。走るという辛いことをしなければ、現実がつらい。

 

そんな小宮が胸を打たれたのは、「速く走れば現実における問題が解決する。」という魔法があることを知ったからだ。

この先を考えると、そんな魔法があるかもしれないと本気で信じられたから。と言い換えた方が適切かもしれない。

 

そんな小宮の足はぐんぐんと速くなり、小学生の時点でトガシに匹敵するレベルになる。

 

そう、速く走れば現実で救われるのだから。

 

歳を重ねるごとに小宮の走りへの覚悟は狂気じみていき、脚に抱えた爆弾の存在を意に介さず全力疾走を繰り返すモンスターと化す。

 

高校生の段階で小宮の実力が全国区で知れ渡り、舞台は社会人になった2人を写す。

 

3.走っても現実は変わらない。

作中での終盤、大人になって実業団に所属した小宮は迷っている。

映画版しか観ていない私の推測になるが、小宮は日本でトップレベルの100メートルランナーになる過程で、走ることで満たされるものを知っていったのだと推測する。

 

「誰よりも速く走れば全部解決する。」と言われた距離を0.1秒でも速く走るために全てを費やし、周りにいるほとんど誰よりも鍛えた小宮は、天井を知ったのではないか。

 

誰よりも早く走って、何が解決できるのか?

 

という問いに向き合わざるを得なくなる。

小宮が走り始めた理由:走ることによって現実を変える。という努力の理由だが、ついに日本における最速の男という称号が目に見えてきた彼にとって

それを手にしたところで何も解決なんてしないのでは?

 

という疑念を持つようになったのではないか。

 

恐らくだが、小宮が走りを極めていく過程で声をかけてくれる人たちはたくさんいただろうし、有名になったことで満たされたこともあったのだろう。

しかし、小学生の頃に思っていたような変化は世界に訪れなかった。

 

特段長所のないまま、何も起きないつらい生活から逃げたかった。

誰よりも速く走れば、そんな世界は変わってくれると思った。

しかし、天井に近づいた彼は、100mを誰よりも速く走っても世界が一変することはないことを知ってしまった。

 

小学生の頃に望んだ、何か世界に変化が起きて苦しい毎日から逃れられる。という希望は、そもそもなかったのだと知る。

 

だからと言って走ることを辞めれば、それこそ自分の価値はなくなる。

 

ただ空虚にレースに参加する熱を持った廃人のようになった小宮は、作中最後のレースを前にしてトガシと相対する。

 

元天才少年のトガシも紆余曲折あり、そのレースへと挑む。

 

小宮

「100mの一瞬はなんのためにある」

「たった今、傾向と対策もないこのレースで、執念だけで走っている人に負けた。」

「もしベスト記録を出せたとしてもその記録は誰かに塗り替えられる。」

「僕らは一体なんのために走っている」

 

 

選手生命の一部を犠牲にしてまで最後のレースに挑むトガシは言う。

トガシ

「当然、ガチになるため」

「自分もこれまで敗北から目を背けたり、誰かが見てくれてるなんて考えたり」

「誰にもどこにも居場所なんてない。あらゆることは思い込みだ」

「そのどれもが、本気でいることの多幸感を奪うことはできない」

 

小宮

「このむなしさの解決策はない」

 

トガシ

「100mを誰よりも早く走れば、全部解決する」

「君の速さを、君は虚しいと思うのか」

 

会話の後に2人はレースへと進む。

この会話の後、小宮は何処か吹っ切れたようにトガシとの勝負に挑むのだが、この会話こそ小宮が持つ疑念、我々も一度は感じたことのある「何のために頑張っているのか?」という問いに対する作品なりの答えであると感じる。

 

その答えは、

努力の本質とは真っ当に苦しむことであり、そこに意味はない。

というもの。

 

小宮は、努力するということは、その背景には変えたい何かがあることだと考えていた。

しかし、トガシは「君が磨いたその速さ、それこそが君の本質だろう。」と説いている。

 

トガシ自身にも、「誰かが見てくれている」のように走る理由や頑張るわけを探した時期があったけれど、たどり着いたのは

「誰にもどこにも居場所なんてない。あらゆることは思い込みだ」

という結論。

 

何かに縋って努力をするということは、つまり頑張る理由を自分の外側に作り出すということを意味する。

 

例えば、家族を養うために仕事を頑張る。とか、大学に受かるために勉強を頑張る。とか。

それは目標を達成するためのエネルギーになるが、もしその外側の原動力になる存在が消えてしまった時、もしくは「この努力によって自分が得るものは何か?」という問いをしたとき、小宮のようにどこかで限界を感じてしまう。

 

だからこそ、トガシは彼自身の経験も踏まえて

「本気でいることの多幸感」それを「奪うことはできない。」

とし、自分が本気で何かに取り組むことそれ自体が幸せなことであると小宮に話す。

 

「100mを誰よりも速く走れば解決する」

というセリフ。

小学生の頃は、努力は自分にとっての不都合をひっくり返すための手段として語られていて、最後の会話では「100mを誰よりも速く走る」ことを目指すこと自体が、君を幸せにすることだ。

と小宮に告げる。

 

つまり努力とは「これを頑張れば問題が解決する」とか、「世界が変わって自分は救われる」とか、そういうものではない。というメッセージではないだろうか。

 

努力を扱うこの話の、最終版の会話。

私は、この作品の独自性はここにあると感じる。だからこそ、この作品がとても好きだ。

 

大ネタバレだが(既に勧告してるからな!自己責任でお願いしますよ!)

映画ラストのレース、2人の結末は決着がつかない。

どちらが勝ったかわからないまま終わる。

最後のカットは、2人がレース中に苦しそうに、しかし晴れやかな表情で走っているところで終わる。

これこそ、努力すること自体があなたを形作る本質であり、あくまで結果はそこに付随するものであるという作品のメッセージを感じる。

 

 

4.らしさ

この作品の主題歌はofficial髭男dismの「らしさ」

 

youtu.be

 

この曲は、努力することの辛さ、絶望、そして歓喜を歌っている。

勝負ではなく、努力について歌を書いているのは流石であるとしか言えない。

 

私はイタリア語を勉強しているのだが、始めた理由は「堅苦しい日々から解放されて、静かでときに賑やかで温かそうなイタリアに将来住むことができれば、なんか良さそうだな〜」のような楽観的なものであった。

 

トガシが聞けば嘲笑するだろう。

絶対に、「イタリアに住めばたいていのことは解決する」なんてことはないし。

 

今はまず、自分が取り組むことを愚直にやること。その努力を積み重ねて自分「らしさ」を作り上げていきたい。

 

ということで今週は真面目でした。また来週!!