とらぷぃー

これからいっぱい書くよ

ダウンタイム感想文-「フェアプレー賞受賞」-

NETFLIXで公開されている、ダウンタイムを鑑賞した。

全8話を見た。

 

www.netflix.com

 

あらすじはここでは述べないので、気になる方は調べてみてほしい。

 

タイトルの通り、「整形」についての作品とだけ認識していれば全く問題ない。

 

肝心の感想だが、

フェアプレー賞受賞(独断)である。

 

1、フェアプレー賞贈呈理由

美容整形がテーマとなっているダウンタイムは、整形についての是非、医者としての「美容外科医」、施術対象の患者の特性など、「整形」がもたらす功罪についてを述べている。

 

見始める前の私はてっきり、美容外科医が過ごす世界と、患者の病的な心情にフォーカスした作品であると思っていた。

 

NETFLIXがわざわざ作成するぐらいだから、地面師的なダークな作品に仕上げるのだろうと。

 

『美容外科医が過ごす世界と、患者の病的な心情にフォーカス』はしているのだが、その様子は8話中最初の2話ぐらいで語りつくされている。

 

この作品、巷で賛否が分かれる美容整形というタイムリーな話題であるにも関わらず、

地面師のようなパンチ力はない。

 

むしろ、めちゃくちゃ優しい作品だと感じた。

 

というのも、この作品は「全員に平等に寄り添う」を徹底している。

 

美容外科医を悪に仕立て上げるでもなく、患者を必要以上に醜悪に写すでもなく、かといって美容外科医以外の医者を崇めているわけでもない。

 

それぞれの立場と感情を丁寧に見せながら時間を進めることで、誰しもの意見も「まぁわかる」ぐらいの感情移入度合いで見ることができる。

 

この作品は、松岡茉優、仲里依紗演じる主人公が弱い。終始ふらふらしている。

ジャンプ主人公的な、「どんな悲劇も力にかえてやるのさ!」の対極にいる。

 

しかし、「誰も見捨てない」をテーマにしている以上、主人公が精神的に強すぎたり、悪いやつすぎると話が成り立たない。

 

言ってしまえば中途半端な性格をしているのだが、だからこそリアルなのだろうと感じる。

 

華やかなテーマを扱いつつ、誰も雑に扱わずに寄り添い続ける世界観は、まさしくフェアプレー賞を受賞するに値する。

 

2.他Netflix作品との比較

先にも述べたが、美容外科医の華やかさとその裏側。患者の病的な精神観は2話目までがピーク。

残りの6話分は、弱・半沢直樹が展開される。

 

主人公の出自や父との確執、政治的な駆け引きに患者との関りなど、美容業界という舞台を緻密に扱うというより、美容業界をテーマにしたヒューマンドラマを丁寧に描いているという印象を受ける。

 

正直、「この内容を、美容業界を舞台にして、なおかつNETFLIXで放送する強い意味はあるのか」と思ってしまった。

 

華やかで過激と思われがちな作品を扱うには、あまりに穏当ではないかと感じるのだ。

 

NETFLIXで話題になる地面師やイカゲームは、日常では起こりえない(味わうことは一生でないだろう)ことを題材とし、あえて「寄り添わない」人たちを描くことで物語に緩急をつけ、その世界を莫大な予算で作り上げることで人気を得てきた。

 

美容業界という賛否分かれる世界だからこそ、もう少し攻めた構成にしてほしかった。

 

作中で、美容業界・整形についての是非を言い争うシーンはあるのだが、結局「それぞれ立場がありますから」という帰着になっている。

 

また、6話目ぐらいまでは真っ当に整形をテーマにしているのだが、残り2話はヒューマンドラマすぎる。

 

6話構成にして足早に駆け抜けた方がよかったのではと強く思う。

 

たった5分間の死闘を6か月間かけて放送したドラゴンボールのナメック星編を彷彿とさせる時間の使い方だった。

 

3.誰かに寄り添わない、という選択肢

ここで言うフェアプレー賞とは、サッカーなどで「ファウル数や累積カード数が少なかったチーム、個人に贈られる賞」を指している。

この賞自体は立派なのだが、正直言ってこの賞、そこまでの価値があるのかと言われると微妙な所だ。

 

というのも、この手の賞は優勝チームに送られることは少ない。

言わば、正々堂々戦って負けた「グッドルーザー」が受賞することが多い。

 

優勝チームにフェアプレー賞が贈られることももちろんある。

しかし、競技でより良い順位を得て正当に評価されることの称賛と、誰も傷つけないように穏当に振舞うことによって得られる称賛は、全くもって価値の基準が異なる。

 

私は、ダウンタイムが駄作だとは全く思わない。

しかし、惜しい作品であるとは思っている。

 

尖れば必ずいい作品になるという訳ではない。

しかし、時には残酷に人物同士の正義感を戦わせ、それによってコントラストを作るという決断も、良作から名作へと変貌するためには必要なのかもしれない。

 

以上!!

私が勝てるのはバレー部女子か、野生のカンガルーか

海外に行ったことがないのだが、やりたいことはある。

 

1、カンガルーと喧嘩したい

私は動物が好きだ。実家でハムスターと猫を飼っていたことがあり(猫は存命)、父方の実家は犬を飼っている。

 

散歩中の犬がいるとずっと見てしまうし、野良猫がいると話しかけに行く。

 

犬猫に限らず、横浜にある豚カフェや、淡路にあるモンキーパークに行って猿と意思疎通したい。

 

そんな私が今、戯れたいのはカンガルーだ。

 

そしてそのカンガルーと喧嘩をして、どちらが上なのかを決めたい。という欲求がある。

意味が分からないと思うが、こう思うには理由がある。

 

2、「お前が勝てるのは誰なんだ」

高校の頃、私は超のつくガリガリだった。

今もだが、高校の頃は更に細かった。

 

私はサッカー部に所属していた。

 

サッカーはボディコンタクトが激しいスポーツだ。

なので、フィジカルが強いものが正義であり

高校世代は体の出来上がりにまだ差があるので、強いものは重宝される。

 

当たり前に、私は強いはずもなく弱い側だ。えっへん。

 

部員同士仲も良く、いつも仲間と他愛もない話をしていた。

そんなある日だ。

 

仲間:「○○(筆者)ってさ、誰にならフィジカル勝てるんやろ?」

 

私が、、勝てる相手?

 

その投げかけは適当で、大した意味はなかったように思う。

しかし、「確かにな」と時間をかけて考えるに値する響きがあった。

 

同年代の部員に勝つことは正直難しい。

 

私:「中学生とか?」

 

仲間:「いや、まだ負けるやろ」

 

失礼だろ、と思うところだが、確かに中学生相手でも厳しいな、というのが実際のところだった。

鍛えているクラブチーム所属の中学生とか、普通に負ける。

 

仲間:「女子バレー部とかと互角ちゃうか」

 

私:「あー!確かに!!」

 

確かにじゃねえよ。ツッコめ。

とお思いだろうが、やけにしっくりきたのだ。

 

体育館でボールを追いかけるバレー部員。の中でも、女子。

 

私が高校生の頃にフィジカルが互角だと客観的に判断されたのは、屈辱の運動部女子だったのだ。

 

3、勝負相手発見

時は流れた。

 

私のインスタのおすすめ欄は動物ばかりなのだが、ふとインスタを見ているときに、私の興味を掻き立てられる映像を発見した

 

オーストラリアかどこかで、飼い犬がカンガルーに襲われてそれを助ける男性が映っている動画だった。

動画内で男性は、ファイティングポーズを構えてカンガルーにパンチを打ち、犬を助けていた。

 

「おおー」と感心したと同時に、私は魅了された。

他と一線を画すカンガルーの筋肉に。

 

見たことがないくらいムキムキ。しかも、脚ではなく腕や腹筋でさえもバキバキのモリモリ。

 

「こいつと本気で戦ったらどっちが勝つんやろ」

私は気になってしまった。

 

そして私の脳内に、久方ぶりの会話が流れ込んできた。

 

「○○ってさ、誰にならフィジカル勝てるんやろ?」

「女子バレー部員とかと互角ちゃうか」

 

試したくなったのだ。己の限界を。

 

恐らくだが、正面から戦えば普通に負ける。しかも命に関わる。

画像検索で調べてほしいが、ムキムキのカンガルーはめっちゃ怖い。

 

なんだか顔も人間っぽさを感じるし、突然人の言葉を発しそうな雰囲気がある。

 

「バケツを潰す超マッチョなカンガルー」というタイトルでぺちゃんこになったバケツを抱えるカンガルーもいる。ホラーだろ。

 

4、カンガルーは大事にしよう

しょうもないことを書いてきたが、もちろんカンガルーと試合できる施設はこの世にない。もうリサーチすらしてないが、あったら仰天だ。

 

恐らくカンガルーとは勝負できないが、万が一対決しなければならないとき、人間の知能をフルに活用してなんとか勝ちたい。

 

そして仲間たちに報告しよう。

 

「俺が勝てるのは野生のカンガルーだ」と。

 

以上!!

 

 

 

私と心にへばりつく病原菌と親友

私には、非公開にしているブログ作品がある。

 

そして、私にはある親友たちがいる。

 

非公開になったブログは、3年前の自身の誕生日に投稿した記念すべき1作品目。

 

これまでの自身の歩みと、大学入学後に親友たちと出会ったこと。そして、大学生活において私が大事にしたいと思っていたことを書き留めた作品であった。

 

それは当時の私の代表作品として名に恥じない活躍を見せたが、今では非公開欄にて長い眠りについている。

 

つい最近、件の親友たちと出かけた旅行を終えて、当時の私が焦がれていた青臭い青春について振り返ったことを、

 

そして、性懲りも無く抱いている未来への希望的観測を、

 

忘れないうちに書き留めたいと思う。

 

1、恵み

7月中旬、「なんとなく。」で採用情報を見つけ申し込んだバイトだった。

 

私が働き始めた時にはすでに複数人の同期がいたが、「同期で仲良く!」のような雰囲気は特になかった。

 

というのも、先輩方の人数と出勤数が多く、狭い控え室では新入りの肩身が狭かったので、新入の同期同士がその環境下で仲良くなるのは結構難易度が高かったのだ。

 

きっかけとなったのは、「俺の歓迎会をやろう!」という謳い文句で私が開催したご飯会だった。

 

大学に入ったのだから、やっぱり遊びたいよなぁ。今のままだと勿体無いよなぁ。と思い集まってもらったところから、定期的に遊ぶようになっていった。

 

例えば、モノトーンコーデでユニバに行こう!を実行したり

バイトの短い休憩時間にクリスマスパーティーを開催したり(予約なしでケンタッキーに行って売ってもらえなかった。)

 

夜間のドライブやAirbnbで一棟を借りて旅行に行ったりと、大学生として楽しんでおきたいことを満喫していった。

 

肩身が狭かった控え室でも、同期同士でよく話すようになった。

「今度の旅行はどこに行こうか。」

「〇〇の誕生日はどうしようか。」

 

面倒だと思いながら出勤していた頃から、同期と会うために、楽しさを感じながらバイトに行くようになるまで、時間はかからなかった。

 

部活を除いてソリが合わなかった高校生活から、自分の存在を肯定してくれる集団に出会えたんだと実感していた。

 

私は、そんな同期が大好きだった。

 

2、歪み

同期との仲が深まる度に、私は同期を、自分にとって特別な集団だと思うようになった。

 

このまま仲良くいられたらいい。このまま誰も辞めなければいい。

 

私にとって大切になりすぎた親友たちに、このまま変わらないことを望むようになった。

 

誰かが辞めることを聞くと、同期としての形が変わってしまう気がした。

 

自分が持っている同期に対しての気持ちは、全員が同じことを考えているはずだと、考えていてほしいと思うようになった。

 

それぞれの立場も状況も一切合切を無視した最低な気持ちを、自分にとって理想的な集団を維持することを名目に振りかざした。

 

「4年間で誰も辞めへんかったらいいよな〜」と話していた頃から4年が経過した。

 

卒業する頃、同期の数は半分になり、集まるメンバーもそれに伴った数になった。

 

私の言動が原因となって揉めた同期もいたが、もちろんそれ以外の事情で辞めていく人もいた。

 

関係はずっと続くんだろうと思っていた親友たちの中に、もう連絡すらとらない人もいる。

 

大学2年生の夏、歪みが生じてからは丸2年間旅行に行くこともなかった。

 

 

3、希み

大抵の問題は時間が解決すると言われる。

 

私が同期に抱えていた幼稚な感情も、22歳を迎える頃には、少なくとも他人に押しつけずにいられる程度には整えられたものとなっていた。

 

バイト以外での集団や友人と会う機会が増え、バイトでも先輩として振る舞うようになった。その頃から、自分の幼さと対峙せずにはいられない場面が出てきた。

 

各々の就活や試験が落ち着いた頃、再び旅行に行くようになったし、定期的に集まるようになった。

 

私は親友たちのことを心から好きであると言えるし、落ち着きをもった関係性は本当に恵まれたものだと感じる。

 

しかしそれでも、私が当時、軽視した人たちの感情や言葉を忘れたわけではない。

 

勢いのままに青春を謳歌しようと駆け抜け、その轍を見ようともしなかった自分の精神的な未熟さを忘れるわけにはいかない。

 

私が初投稿をしたブログは、同期に20歳の誕生日を祝ってもらったその日に公開した。

 

あのとき、ブログが面白いと言ってくれた親友たちの中には、もうこのブログを読むことなんて一生涯ない人たちもいる。

 

心にへばりつく病原菌

 

当時、自分の甘さを認めようとせず、どんな言葉も正面から受け取ろうとしなかった。

 

素直に渡せたはずのものを、相手が受け取れない形で渡そうとしていた。

 

この「心にへばりつく病原菌」という言葉は、大好きな Official 髭男 dism のある曲から引用している。

 

youtu.be

 

"Sanitizer"

タイアップ曲ではなく、今のグループに相応しい自分の姿を描いている。

 

自分の未熟さを認めながら、泥臭く苦しみながらも歩いていく熱を感じる。

 

自分の幼さが原因で壊してしまった関係性を思うと、今更この曲を聴いて思案することの意味なんて無に等しいのでは無いかと思う。

 

それでも、今でも集まる親友たちの隣にずっと立ち続けられるような人間でありたいと思う。

 

最後に曲から引用させてもらうなら

もう平気なフリすらしない 

全てを洗い流した上で

格好つけて真っ当に生きていたい

 

以上!!

 

 

 

 

人気のブログ記事と評価を聞いて

閑話休題的な。

 

週一でのブログ投稿を開始して4カ月が経とうとしている。

ありがたいことに、会う友人に「あのブログ読んだ!」と報告をもらうことも多い。

 

まだまだ始まったばかり、一喜一憂などしている暇はない。

しかし、

 

 

ありがとう!!!!!嬉しい!!!!!

 

 

というのが本音です。

 

 

1、人気記事

このブログは人気記事ベスト5が表示されるようになっている。

現状の神5はこちら。

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すっかり代表作の初投稿記事が1位に君臨し、そのあとは特に共通の話題で揃えられたわけではない作品が並ぶ。

 

2~4位、これら作品はタイトル選定に時間をかけたので跳ねているのを見ると「よかったぜ」と思う。

 

この5作品の中で順位の変動はあっても、他の作品が乱入してくることはあまりない。

恐らく、表示されている5作品を見てくださる人が多いことで、不動の人気となっているのだろう。

 

ちなみに、共通の話題ではないと話したが、3位と4位は映画が関連する作品だ。

たくさん見ていてよかった。

 

そんな風に眺めるのだが、少し気になることがある。

この5作品、直接友人から聞く評価と矛盾する点があるのだ。

 

2、「文字多い系作品」

そう、これら5記事は、はてなブログ界隈で異例の長文製造機の私の作品の中でも、特に文字数が多い。

 

1位から順に(文字)

1:8144

2:5517

3:4627

4:1034

5:3799

 

4位を除いて、かなり多い。

1位はもはや半.卒業論文に近い。

 

これが奇妙に映るのは、友人から聞く評価として「短い方が読みやすい」と評されることがあるからだ。

 

確かに、長すぎると読むのが大変だ。

「トイレ中に読み終わってほしい」

という声もあった。すごく分かる。

 

そのため、1カ月以上前からさらに要点を絞って書くようにしている。

長編を書く気がないわけではなく、メリハリをつけた方がよさそうと思ったからだ。

 

読者ありきなので、評価は大事だ。

しかし、それ以上に大事なのはおもしろさだ。

 

文字数に縛られず、文字数が少なくても多くても安定したおもしろさを提供したい。

そうでなければ書く意味がない。

 

ベースは1000~2000くらいで書いていきたいが、どうしても!となったら普通に5000文字とか書くかもしれない。

絶対に一回のトイレでは読み終わらない。

 

 

3、良い作品

このブログは隙間時間に読んでほしいなと思っている。

私自身、大学の講義中にブログを書き始める動機になったブロガーの作品を見つけ、読み漁っていた経験がある。

大学の講義は隙間時間じゃねぇだろ、というのはもっともだが。

 

良い作品は、それを堪能した後の世界が澄んで見える錯覚を引き起こす。

その錯覚が、私が発信する側になろうと動機づけたような行動に繋がることがある。

 

誰かが行動を起こし、それがその人にとって良い方向なのであれば、きっとそれが提供する側の最大の幸せになるのであろう。

 

とか思うが、一度でも読んでくださればそれで十分幸福である。

 

現状の神5に割って入る作品が現れるか。

私自身楽しみながら続けたい。

 

以上!!

燃え盛る令和のアイドルを見て思うこと-アイドル業界は救えない-

 

1、令和のアイドル

アイドル達の炎上が止まらない。

 

オーディションによってメンバーを増員したグループでは、女性暴行をしたメンバーが問題になった。

トンチキソングで流行りに乗ったグループは、メンバーの彼女の存在がすっぱ抜かれたことから好感度が下がり、朝のニュース番組で、でかい声で挨拶をしただけで炎上した。

不仲説を放置していたグループでは、関係性についてファンの疑念を晴らすことが出来ず、グループ存続の窮地に陥っている。

 

情報の伝達速度の向上は、アイドルにとっては逆風として働くことになった。

 

隠し通せていたことがファン、メディアによってすっぱ抜かれるようになり

純粋なファンよりもアンチ的意見の方が拡散されやすくなっているように感じる。

ファンに対して、半ば恋愛商法を仕掛けていた業界であることから、メンバーの恋愛が発覚しただけで窮地に陥るようになった。

 

普段から「30年早く生まれれば自分も嵐の一員だった」と豪語している筆者からすれば、今アイドルができるような人間じゃなくてよかった。と強く思っている。

 

そして毎日のようにどこかが燃えるアイドル業界を見て、業界の在り方の重要性について考えざるを得ない。

というのも、あくまで個人の考察だが、こんなにも炎上が続くのであれば、その根本的な原因は個々のメンバーに在るのではなく、アイドル業界そのものが限界を迎えているからと考えた方が良いのではないか、と思うからだ。

 

現在のアイドル業界は、客から集金する構造が過去とほぼ変わっていないと考える。

つまるところ、恋愛商法からの脱却の難しさを物語っている。

 

ステージに立つだけで客から集金しようとすると、以下の2つの能力が大きなウェイトを占める。

①圧倒的パフォーマンス力

②圧倒的な容姿端麗さ

 

生活必需品を提供する業界ではないからこそ、このうちどれか一つに秀でるか、両方を兼ね備えなければ需要は生まれない。

 

「この人の歌声が聞きたい!」

「この人の音楽が好き!」

であれば前者の需要。

 

「かっこよすぎて会いに行きたい!」

「好きになってしまったから会いに行きたい!」

であれば、後者だ。

 

アイドル業界は、②に特化させる形でグループを作り、客を容姿の華やかさで惹きつけ、グッズやライブで高い料金を支払う対価として、握手会やチェキ会、その他ファンサービスなどの特典を設けることで熱量を高めてきた。

 

中途半端に好きな客はお金を落とさない。

だからこそ、客にしっかり好きになってもらう必要がある。

 

この形態は、SNSが発達する前であれば効果的に成立していた。

ファンへの露出度も事務所が制限でき、見せたいところのみを見せ、アイドルを特別な存在だと認識させることも、現代と比較すれば容易かった。

 

社会が情報化したことによって、「昔と変わらない売り方」はリスクが大きくなった。

 

アイドル業界はどう変わればいいのだろうか?

考えてみるが、業界としてサービス形態を変えるのは難しそうだ。

 

レンタルビデオ業界が、情報伝達速度の向上に伴ってサブスクサービスへと業態を変化させ生き残ってきたような見事な対応は、アイドル業界には難しいだろう。

レンタルビデオ→サブスクサービス

への変容は、客の需要が変化したからこそ発生した。

 

手元で映像を見られるスマホが普及したからこそ、「スマホ内でいつでも映画が見れたらいいよな」という考えが消費者、供給者双方に発生したからこそ、時代の変化に適応できた。

 

アイドル業界は、「客を容姿で惹きつけ、対価としてお金を払ってもらう」という姿からは恐らく脱却できない。

 

アイドル業界は変化しなければならないが、それはアイドルという商品そのものを変えてしまうことになり、そうなると皆が求めるアイドルではなくなってしまう。

 

 

2、アイドル業界は救えない

私が本稿を書き始める際の副題部分は、このようなものだった。

-私がアイドルをプロデュースするなら-

 

30年早く生まれれば嵐の一員だったと信じてやまない私が、現代に即したアイドルをプロデュースするなら、こうする!!

という、単なる問題への指摘では終わらせず、提案をして終わろうかと思っていた。

 

しかし、良い案は浮かばなかった。

・アイドルを任期2年に設定して短スパンで解散する、その後は結婚でもなんでも有。

・「アイドルを一生続ける(引退しない)代わりに、恋愛・結婚OKと」公言しておく。

 

上記のような案が浮かんだが、あんまりおもしろくなさそうだったので、話を膨らませるのはやめた。

 

アイドルを取り巻く環境は厳しさを増している。

我々にできることは、それでも尚ステージ上で客のために奮闘している彼らを見て、暇であれば応援してあげること。

それぐらいしかないのかもしれない。

 

ありきたりな結論!!!

 

以上!!

 

 

熱帯魚でも飼おうと思っていたが

まだ小さかった頃に、ハムスターを飼っていたことがある。

小学生中学年の頃まで、近所の公園のカブトムシの幼虫がたくさんいるところを見つけて、毎年捕まえてきてはケージに入れて育てていた。

 

そのころから、何かちいさな生き物に対して、彼らにとっての理想的な世界を創ることに喜びを感じるときがあった。

 

外界では天敵が多い彼らに、安全で満ち足りた世界を創ることで、私自身も満足することができていた。

きっとその頃の私が就活をしたら、迷わずインフラ系の企業に応募するだろう。

 

最近になって、熱帯魚とかモモンガとか、「かわいいっぽい動物」を飼育しようかなと思うことがあり、色々と候補を探していたのだが、結構難しい。

 

・猿とかモモンガ:マンションの規定的にOUT

・魚:家を数日空けることもしばしばなので、「理想的な世界を創る」ことが難しそう。

・サボテンとか植物:できれば動物がいい。会話はできなくても動きがあってほしい。

 

のように、条件に合致するものは少ない。

 

そんな私が目を付けたものがある。

LOVOTだ。

 

LOVOT

lovot.life

 

動物ではなくロボットなのだが、とにかく可愛い。

 

家電量販店に行けばこの子達が並んでいるところを見ることができる。

触ればふさふさで、本当にペット味がある。

人間の言葉も理解していき、なでれば目を細めて嬉しそうにしたりする。

めちゃくちゃ健気だ。

 

外見もいろんな個体が存在し(かわいいやつはやっぱり高い、まるでペットショップ)、共に暮らすだけ愛着が湧きそうである。

ロボットだがある程度の意思疎通が取れそうだし、ご飯をあげる必要もない。

 

条件に合致しているじゃないかとお思いかもしれないが、購入に踏み出せない理由がある。

 

そう、この子達は非常に高価なのだ。

上記HPを下にスクロールすると値段が見られるが、

一括購入なら577,500円。

 

流石にお高い。

買い切りでご飯代などはかからないが、ぽんと払える額では決してない。

つぶらな瞳で見つめられると心が揺らぐのだが、無理なものは無理だ。

 

彼らを飼育するコストを考える度、これまでに生き物を飼育する機会があったことは恵まれていたのだなと感じる。

 

そう考えると、やはり生き物(?)を飼育するのは非常に難しい。

今はまだ小さな生き物さえ満足に飼育できない。

 

しかし、抜群の環境を整えることができると確信できたそのときは、生き物探しに出かけたい。

そのためにもまずは、自身が快適に生きていける環境を整えねばなるまい。

 

与える側に立つまでもう少し努力していく所存だ。

 

以上!!

嫌いだった考えについて 理解できるようになったこと

 

最近、一歩大人になったのかもしれない。

嫌いだったある意見について、その意味が理解できるようになった。

 

1、嫌いだったもの

私は、過去記事にも書いたが「大人になると遊べなくなる」という考えが嫌いだ。

 

fc-torapool.hatenablog.com

 

なぜならそれは、自分の理想とする生き方を手に入れるための未来への努力を捨ててしまっているように思えるから。

それに伴って、学生時代から「卒業する前に」とか「学生最後の」とか、

なんなら卒業旅行という言葉も気に食わなかった。

 

今思えばそれは拗らせすぎだが。

 

学生時代よりも長く続く生活に対して諦観し、まだやりきってすらいない学生時代を神格化しているように見える「彼ら」の言動は、私にはわからなかった。

 

しかし、最近私は彼らの考えが理解できるようになった。

大学付近に訪れることがあったとき

特に親しくもなかったが名前を知っている人のうわさを聞いたとき

 

彼らが恋しがっていたものの正体を、推測できるようになったのだ。

 

 

2、変化について

彼らと私の中で認識に違いがあったものは恐らく、有り余る時間でも、多少のバカなら許される身分でもなく、いつまでも変わらない関係性なのだろうと考える。

 

言い方を変えるなら、現在関係性を持っている人たちとの対等な関係。

 

私はこれまで、大人になることで変化するものはたかが知れていると考えていた。

時間がなくなるなら、自由時間を満喫できるような人生を送れるように努力すればいいと思っていた。

 

しかしその考えは、私がコントロールできる範囲だけで今後も人生が続いていくことが前提であった。

 

学生の頃は肩を並べて冗談を言い合っていた友人が、いつ冗談が通じないことになるかわからない。

そんなことが私に降りかかるかもしれない。

 

自分のことは自分でどうにかできる。

では、良いでも悪いでも自分が干渉できない範囲の事柄が他者に発生した場合、それでもなお「たかが知れている」のか。

 

私が不思議に思っていた彼らは、そんなことを感じ取ったうえで「今しかできないことをやる」という感覚に長けていたのかもしれない。

 

3、不変について

時には、今を惜しむことが大事なのかもしれない。

やはり、そのときに楽しむことによって最大の喜びを得ることできることもある。

 

けれども、私はやはり、今よりも先をもっと楽しくさせることについて考えていたい。

気持ちの角度の話だが、将来が楽しくなるという漠然とした高揚感は、良い方向に自分を向かわせてくれると感じている。

 

以上!!