2025年の個人的ベスト映画、「ひゃくえむ。」
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51本見た中で、12月に見た44本目の作品。それまでのトップはマネーボールでした。
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普段野球のことを「マイナースポーツ」と呼び友人から非難されている私にとって、野球に関するコンテンツが何かの1位になる快挙を達成するまであと少しだったのに、逃げ切れず。残念!!
今回はそのひゃくえむが私に突き刺したメッセージについて書きたい。
「なにかが自分を救ってくれる。なんてこと考えずに今を圧倒的、絶対的に苦しめよ」
という話を。
1,ひゃくえむ
『ひゃくえむ。』は、100m走というわずか10秒ほどの競技に、人生のすべてを懸ける人々を描いた作品である。
速く走る、という才能を持って生まれた主人公、内気で自己肯定感の低い同級生。
小学生の頃両者が出合い、主人公はこう話す。
「100mを誰よりも早く走れば全部解決する。」
学生の頃は特に、運動が出来る人はモテる。
誰よりも早く走ればボルトのような存在になれる。
良し悪しはさておき、学校のあの雰囲気を味わった者なら「確かにな」と頷いてしまう。
主人公から走り方を教わった同級生。
生来、走りで負けたことがない冷めた主人公。
サッカー漫画でも野球漫画でもバレー漫画でもない、100mという一瞬の勝負で勝ち続けるための熱量を、恐怖心、ライバル心、苦しさ、心地よさ、逃避、現実、、、
努力の過程の惨さと清々しさを、これらあらゆる面から描いている。
「チ。-地球の運動について-」で知られる魚豊さんが書いたこの短編作品は、公開された時こそ話題にならなかったが、2026年の年明けにサブスク解禁されてからは話題を呼び、作品で語られる言葉についての議論を目にする機会が増えた。
*この先はひゃくえむのネタバレを含みます
2、現実が変わるから、走る!
ここからは、ひゃくえむを掻い摘みつつ、作品が語るメッセージについて展開したい。
冒頭6分間が、YouTubeにて公式からアップロードされているので以下の場面は実際に見てもらった方がわかりやすい。
youtu.be
主人公から走りを教えてもらった人物の名は、小宮という。
そんな小宮と主人公であるトガシが初めて出会ったのは、小宮が引っ越してきてすぐのこと。
トガシが下校中のこと、目の前からだらしのないフォームで今にも死にそうな息遣いをしながら、小宮が現れる。
次の日、その小宮がトガシの通う学校に転校してきたことが知らされる。
帰宅して自室に入ると外から荒い息遣いが聞こえてきて、見てみるとまた小宮が走っている。
追いついてトガシが話しかける。
トガシ
「走るの好きなの?」
小宮
「いや、つらい」
トガシ
「なんで走ってるの?」
小宮
「ぼやけるから。」
「現実。気が紛れるんだ。現実よりつらいことをすると」
トガシ
「なんかもったいなくない?そんな理由で走るの」
小宮
「僕、なにもないから」
「人とうまく話せないし。問題を解決する方法もわからないから、逃げられればいいんだ。その場しのぎのやり方でも」
「走るだけじゃ、何の解決にもならないことはわかってるけど」
トガシ
「それは違うよ。小宮くん」
「俺知ってるんだ。この世界にはすごく簡単なルールがあるんだ。」
「たいていのことは、100mを誰よりも早く走れば全部解決する」
トガシが小宮を呪いにかけた瞬間である。
恐ろしや、小学生。
ここは、小宮が走りを極めていくことを決意するシーンになるのだが、このときの小宮が走る理由は「100mを誰よりも速く走れば全部解決するから」である。
このとき小宮が解決したかったことは、目の前の現実全てかもしれない。
人とうまく話せない、取り立てて長所もない。走るという辛いことをしなければ、現実がつらい。
そんな小宮が胸を打たれたのは、「速く走れば現実における問題が解決する。」という魔法があることを知ったからだ。
この先を考えると、そんな魔法があるかもしれないと本気で信じられたから。と言い換えた方が適切かもしれない。
そんな小宮の足はぐんぐんと速くなり、小学生の時点でトガシに匹敵するレベルになる。
そう、速く走れば現実で救われるのだから。
歳を重ねるごとに小宮の走りへの覚悟は狂気じみていき、脚に抱えた爆弾の存在を意に介さず全力疾走を繰り返すモンスターと化す。
高校生の段階で小宮の実力が全国区で知れ渡り、舞台は社会人になった2人を写す。
3.走っても現実は変わらない。
作中での終盤、大人になって実業団に所属した小宮は迷っている。
映画版しか観ていない私の推測になるが、小宮は日本でトップレベルの100メートルランナーになる過程で、走ることで満たされるものを知っていったのだと推測する。
「誰よりも速く走れば全部解決する。」と言われた距離を0.1秒でも速く走るために全てを費やし、周りにいるほとんど誰よりも鍛えた小宮は、天井を知ったのではないか。
誰よりも早く走って、何が解決できるのか?
という問いに向き合わざるを得なくなる。
小宮が走り始めた理由:走ることによって現実を変える。という努力の理由だが、ついに日本における最速の男という称号が目に見えてきた彼にとって
それを手にしたところで何も解決なんてしないのでは?
という疑念を持つようになったのではないか。
恐らくだが、小宮が走りを極めていく過程で声をかけてくれる人たちはたくさんいただろうし、有名になったことで満たされたこともあったのだろう。
しかし、小学生の頃に思っていたような変化は世界に訪れなかった。
特段長所のないまま、何も起きないつらい生活から逃げたかった。
誰よりも速く走れば、そんな世界は変わってくれると思った。
しかし、天井に近づいた彼は、100mを誰よりも速く走っても世界が一変することはないことを知ってしまった。
小学生の頃に望んだ、何か世界に変化が起きて苦しい毎日から逃れられる。という希望は、そもそもなかったのだと知る。
だからと言って走ることを辞めれば、それこそ自分の価値はなくなる。
ただ空虚にレースに参加する熱を持った廃人のようになった小宮は、作中最後のレースを前にしてトガシと相対する。
元天才少年のトガシも紆余曲折あり、そのレースへと挑む。
小宮
「100mの一瞬はなんのためにある」
「たった今、傾向と対策もないこのレースで、執念だけで走っている人に負けた。」
「もしベスト記録を出せたとしてもその記録は誰かに塗り替えられる。」
「僕らは一体なんのために走っている」
選手生命の一部を犠牲にしてまで最後のレースに挑むトガシは言う。
トガシ
「当然、ガチになるため」
「自分もこれまで敗北から目を背けたり、誰かが見てくれてるなんて考えたり」
「誰にもどこにも居場所なんてない。あらゆることは思い込みだ」
「そのどれもが、本気でいることの多幸感を奪うことはできない」
小宮
「このむなしさの解決策はない」
トガシ
「100mを誰よりも早く走れば、全部解決する」
「君の速さを、君は虚しいと思うのか」
会話の後に2人はレースへと進む。
この会話の後、小宮は何処か吹っ切れたようにトガシとの勝負に挑むのだが、この会話こそ小宮が持つ疑念、我々も一度は感じたことのある「何のために頑張っているのか?」という問いに対する作品なりの答えであると感じる。
その答えは、
努力の本質とは真っ当に苦しむことであり、そこに意味はない。
というもの。
小宮は、努力するということは、その背景には変えたい何かがあることだと考えていた。
しかし、トガシは「君が磨いたその速さ、それこそが君の本質だろう。」と説いている。
トガシ自身にも、「誰かが見てくれている」のように走る理由や頑張るわけを探した時期があったけれど、たどり着いたのは
「誰にもどこにも居場所なんてない。あらゆることは思い込みだ」
という結論。
何かに縋って努力をするということは、つまり頑張る理由を自分の外側に作り出すということを意味する。
例えば、家族を養うために仕事を頑張る。とか、大学に受かるために勉強を頑張る。とか。
それは目標を達成するためのエネルギーになるが、もしその外側の原動力になる存在が消えてしまった時、もしくは「この努力によって自分が得るものは何か?」という問いをしたとき、小宮のようにどこかで限界を感じてしまう。
だからこそ、トガシは彼自身の経験も踏まえて
「本気でいることの多幸感」それを「奪うことはできない。」
とし、自分が本気で何かに取り組むことそれ自体が幸せなことであると小宮に話す。
「100mを誰よりも速く走れば解決する」
というセリフ。
小学生の頃は、努力は自分にとっての不都合をひっくり返すための手段として語られていて、最後の会話では「100mを誰よりも速く走る」ことを目指すこと自体が、君を幸せにすることだ。
と小宮に告げる。
つまり努力とは「これを頑張れば問題が解決する」とか、「世界が変わって自分は救われる」とか、そういうものではない。というメッセージではないだろうか。
努力を扱うこの話の、最終版の会話。
私は、この作品の独自性はここにあると感じる。だからこそ、この作品がとても好きだ。
大ネタバレだが(既に勧告してるからな!自己責任でお願いしますよ!)
映画ラストのレース、2人の結末は決着がつかない。
どちらが勝ったかわからないまま終わる。
最後のカットは、2人がレース中に苦しそうに、しかし晴れやかな表情で走っているところで終わる。
これこそ、努力すること自体があなたを形作る本質であり、あくまで結果はそこに付随するものであるという作品のメッセージを感じる。
4.らしさ
この作品の主題歌はofficial髭男dismの「らしさ」
youtu.be
この曲は、努力することの辛さ、絶望、そして歓喜を歌っている。
勝負ではなく、努力について歌を書いているのは流石であるとしか言えない。
私はイタリア語を勉強しているのだが、始めた理由は「堅苦しい日々から解放されて、静かでときに賑やかで温かそうなイタリアに将来住むことができれば、なんか良さそうだな〜」のような楽観的なものであった。
トガシが聞けば嘲笑するだろう。
絶対に、「イタリアに住めばたいていのことは解決する」なんてことはないし。
今はまず、自分が取り組むことを愚直にやること。その努力を積み重ねて自分「らしさ」を作り上げていきたい。
ということで今週は真面目でした。また来週!!